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地震にあった時の話②(災害は忘れた頃にやってくる) [無駄の効用かやっぱり無駄か]

地震に遭遇した時の話です。
企業人として、やはりわきの甘い対応でした。
幸い被害がなかったので、大過には至らなかったのが何よりです。

そうこうして社内に入ったのですが、社員の所在・安否確認が大変です。
まず、電話が通じません。

気を利かして出勤してくるものもいましたが、「タクシーがつかまらなかったので遅れた」という管理職もいました。
管理職でかつ単身赴任の一人者の彼のことですから、震度6とわかったのなら、まず自転車でも駆け付ける気概がほしいものです。

電話が通じるようになっても、自宅にいない人が大半です。
携帯は「電波の届かない」あるいは仕事中と違い「手もとにおいていない」状態の人もいます。

携帯電話の復旧度合いも会社によって違います。
おそらく契約者数の一番少なかった(?)携帯会社のものが一番よくつながりました。
携帯を統一していなかったことがある意味幸いしました
メールのほうが早く復旧したようです。

社内・店内にも業務に影響しそうな大きな被害は見当たりませんでした。
教訓的に気のついたことを書き留めておきましょう。
1.高いところのものは落ちる
2・携帯は繋がらない(公衆電話はOK ただし、テレフォンカードないとだめ)
3.エレベーターは必ず止まる

4.テレビは被害の大きなところを映す(実態が分かりにくい)
5.ライフラインが止まるか止まらないかで対応や受け止め方は違う
6.社員の安否確認のルールは再考が必要
・・・わが社は、会社側から各社員に確認するシステムですが、逆に、社員の方から「無事連絡」をするルールのほうが楽です(パートさんに至るまで、安否がわかるまで確認するには、とても大変なことです)。

7.曜日と時間帯で被害は大きく異なる
たとえば、窓ガラスが割れたビルの前でも、被害者・犠牲者はありませんでした。
もし、平日のビジネスタイムなら間違いなく死傷者が出ていたはずです。
8.ビルや建物に異常がなくても、中の物は壊れる
免振マンションの上の方の階の人の話では、食器棚等が倒れたり、食器や置物がたくさん壊れたという話です。

翌日以降、あいさつ回りとお見舞いをかねてお取引先を訪問しました。
その時に気付いたことや各社の社長さんがおっしゃったことを申し上げましょう。
1.建物を建てるには、「古地図」を見るとよい
ある会社に、福岡市内の「古地図」がありました。
被害の大きかった地域はやはり、かつては「海」「川」「湿地」「お堀」だったとこが目立ちます。
特に、そういう埋立地と在来の土地にまたがって立っている建物には被害が多かったようです。

2.「古くからあるJR線の沿線は地震被害が少ない」とおっしゃる社長がいらっしゃいました
彼の理屈は、JRは線路を引く時に地質調査を丁寧にしている。
曲がりくねっているのは、用地買収時の不都合よりも地質を勘案しているせいではないのか。。。。
と、当然その会社は、JR線路のそばでした。
注:送電線の発する電磁波の影響にはコメントはありませんでした。

3.キャビネットが倒れた勢いでコピー機が潰れたとこもある
無人のオフィスだったのが幸いしたようです。
コピー機だけの被害で済みました。

4.置物の片づけ方で、その会社のイメージがわかる
福岡の企業には、オフィスに「博多人形」が必ずと言っていいほど飾ってあります。
応接室などには必ずありますが、数ヶ月たっても、人形が起こしていない会社も数多くありました。
ちなみに、わが社の博多人形も小生が並べ替えました・・・・・失礼ながら県民性を垣間見たようです。

5.骨董品には、注意が必要
写真は、かなり高価な古伊万里です。
再生できるかプロの方に見てもらうため、この会社では、長らくの間そのままにしてありました。これはこれですごいことです。

たまたま人命被害が軽微であったため、こんな呑気な感想を書いてみました。
ただ、実際に、災害に遭遇すると、なかなかカッコいいマニュアル通りにはいかないということです。
ご参考までに

初村050330_1131~0001.JPG

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