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公務員のお仕事に見る上司の仕事 (上村係長、住友監査官、前田主任検事があなたの部下だったならどう思いますか?) [企業経営の風景・裏付けのない経営学]

最近、公務員さんの不祥事が相次いでマスコミを賑わせていますね

①郵政不正事件の当事者である厚生労働省の上村係長
②コンタクトレンズ業者に賄賂を要求していた住友監査官
③郵政不正事件の取り調べを行った前田主任検事

の話です

それぞれの事件の概要や事実関係を十分に存じ上げないまま論ずるのは失礼な話ではありますが、もし、みなさんが彼らの上司だったらどういうことになっていたのでしょうか? あるいは、どう考えますか?

彼らの不正事件は微妙に態様が違います

A:組織の中での独断型・・・・上村係長のケース
 (本来のルールに則った手続きを経ず、独断で対応を行ったもの)

B:単独型・・・・住友監査官のケース
 (プライベートな事情で不正に手を染めたもの)

C:組織型・・・・前田主任検事のケース
 (上司に相談するも不明朗な対応を指示され結果として不正になったもの)

と区別することができるようです

このような不祥事があなたの職場で起こったのなら、誰がどのように責任を取らされるのでしょうか?

A:独断型の場合
仕事のやり方、職場規律の管理は上司であるあなたの責任になりますね

B:単独型の場合
業務外の部分で不正を働いていたのですから上司としてもどうしようもありません
しかしながら、
・彼の、仕事ぶり・仕事を通してみた生活ぶりは垣間見ることができますね
・被害者(敢えてそう呼ぶと)の方から見れば、業務に手心を加えていただくと言うことの見返りを期待させるものがありますね

C:組織型の場合
相談されていた以上、上司であるあなたの責任が重くなってしまいます
「君に任す」とか「不明確な結論」では、あなたの責任は免れることはできません

多くの企業の場合、程度の差はあるとはいえ、上司の責任を免れることはできないのではないでしょう

よく、企業風土のなかでは
①人事管理
②リーダーシップ
③人材育成
などということが語られます
こういう不祥事が起こった時にこそ、こう言ったことは顕在化します

あなたのお仕事が
1.芸術家・職人型の場合
・・・・人事管理とか管理監督というようなことは必要ありません
あなたご自身が商品なのですから

2.ご夫婦・三ちゃん経営型
・・・・一心同体・以心伝心の経営です 人事管理などというものは存在しません
組織というよりは、家族なのですから

3.組織形成型
・・・・職制を離れたら他人です
仕事の仕組みやルールを通して求心力を作っていくしかありません
そこからいわゆる「管理」とか「リーダーシップ」などという言葉が生まれてきます
業績が順調に上がっているときは気にならないことでも、いったんトラブルが起きてしまうと、「ルール」とか「管理体制」の強弱がクローズアップされてしまうのです

そうそう、「管理・管理」といって仕事なんか面白くない!などとおっしゃる方も多いと思います
しかしながら「楽しく仕事をする」ということと「管理をする」ということは異次元のものであるということを理解しておかないといけません

管理体制とかルールは、仕事の質によっても異なります

たとえば、
①銀行などは、「銀行という組織」そのものが商品です
・・・・お金はどこの銀行でも同一ですが、銀行という組織力で付加価値を付けているのです

②芸術家とか職人さんは、その方自身が商品なのです
・・・・少々の不祥事でも許してもらえることが儘あります

③競争力のある独自商品がある場合
・・・・「商品ありき」です  ただし、あくまでも競争力がある範囲で。。。。。

外国ではこうだ!とか、そこまでストイックに考えなくてもというお考えもあるかと思います
それはそれでいいかもしれません
ただ、日本の企業風土の中で考えられた仕組みです
もし不愉快なことがあるとすれば、その仕組みを動かす人の在り方に大きな原因があることが多いものです

たとえば、「公務員制度改革」というものの、「公務員の仕事ぶり改革」という考え方もあってもいいのではないでしょうか


後1か月もすれば、また叙勲の季節です
さてさて、どういう方々がどういう事情で勲章を授かるのでしょうか。。。。。


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伴睦

9月28日付日経「大機小機」でケインズ論に従って「公務員給与を引上げて民間給与のの上昇の呼び水とし景気回復策でデフレ脱却を図れ」なんて言っておりました。
公務員制度改革で騒いでいる最中、「なんてこと言ってんだ」とお叱りを賜りそうですが、私はある意味正解かなと思っております。

民間給与所得の平均が年収450万円以下なんて現状ですが、為替レート85円/ドルで53,000ドル程度となり欧米に比較しても未だ中々高いレベルと言えます。
ならば、プラザ合意前の1980年代前半の280円/ドルだと16,000ドル程度となります。これでは、当時のハーバードの年間学費にも及びません。

その昔、1971年に円が変動相場制となり1ドルが360円から308円に切り上がった時、ホテル ニューオータニのとあるレストランで
「10ドルステーキ」というランチメニューが出来ました。
これは、その日のレートで値段が変わるという代物でしたが、当時、パウンドステーキとは言え、3,000円出して食する者も少なく、結局、米国人が10ドル紙幣払って喜んで喰っていたとか。
しかし、1ドルが180円を切って次第に100円に近づくにつれて行列が出来たそうですが、1990年あたりで、価格よりもバブルで飽きられて消えてしまいました。

冒頭のコラムにあるように、景気は「比較」による心情が左右するところ多いと思います。

ひと頃、庶民は、「給料の安いガッコの先生とおまわり」とか、「恩給があるから我慢して働く公務員」とか、「職にあぶれたら自衛隊で食わして貰え」なんて言ってた憶えがあります。
そんな公務員給与を庶民が羨ましがって、今日、「給与カット」を声高に訴えている我々庶民は自らハードルを押し下げていることに気付かなければいけないではないでしょうか。

私自身も、デフレをひしひしを感じております。
在米しておりました1970年代後半、20ドル札は1万円感覚で今も残っております。
当時、一般に流通する最大額紙幣でもあり、20ドルあれば相当の安心感がありました。
その反面、1990年以降ビジネスで馴れ親しだ100ドル札は、やはり、1万円、寧ろそれ以下、千ドル紙幣使っていたこともありました。
その間20年、米国においてもそれ程大きな物価上昇が起ったとも感じませんし、日本庶民にとっては1億円足らずになってしまった100万ドルも今の米国庶民には30数年前とさほど価値観は変わっていないと思います。

翻って、今日の日本では、1万円札はとても貴重なものとなっております。
実際、100ドルより価値は上なのですが、私にとっては500ドル程に思えております。
今と同じように1ドル90円を下回っていた1995-6年は、お財布には1万円札が常時5-6枚ないと落着かなかったのですが、今は数千円でも気にならない、と言うより回って(回して)おります。
これが、正に、「お金が無くなって行く」というデフレの現象なのでしょうね。

では、さて、どのようにしてデフレを脱却して行くのか、ですが、これは円を意図的に暴落させるしか手はないと考えます。

先般日銀が行なったような「円売介入」のようなものではなく、日銀と日本政府がパンツを脱ぐ覚悟をすることです。

少なくとも、一般会計予算程度(100兆円)の国債発行によって対外的な円の信用を失落させ、対ドルベースで今の倍の160円程度まで切下げるのです。
対外的な信用を失っても国内においては、何ら、円の価値を損なう事はありません。
国内に流通する国債を日銀がすべて買い上げ、日銀券(紙幣)の増刷を行い、銀行は仕入れた品物(お金)を販売しなければならないのです。

当然、資金需要がなければ銀行はお金を販売出来ません。
「1万円札を9千円で売りましょう」とは行きませんが、場合によっては、それも有り、かも。
ここは、「金利政策」が必要となります。勿論、「公定歩合」は上昇に動き出します。
金利の上昇は、市中で眠っているお金を銀行へと引き付けますが、手持ちの商品(お金)を売らなければならない銀行は、一旦、バーゲンしてでも市中に流さなければ還流しません。
これが、「貸出態度の積極」を生み出すのです。

金利が上昇することで企業は支払金利が増加して慌て出しますが、長年低金利に胡坐をかいてきた企業は新たなスキームを組み立てざるを得なく、事業投資に活性を生みます。

民間給与の上昇ですが、円の暴落によって、自ずからターゲットが定まります。
それよりも、円の暴落で輸入依存のエネルギー・食料等、所謂、庶民に直結する一般消費材、殊更、電気・ガス・交通機関等の公共料金が高騰することによって庶民の所得の上昇が不可欠となります。

デフレの脱却が達成出来、インフレへの加速を増す流れが確実になれば、ここで、「日銀のお家芸」であるインフレ抑制の見せ所となります。

日本が、戦争もせず、他国のどこからも助けを借りず、この国の国民の幸せと経済の成長を果たすにはこれしかないのではと考えております。
もうひとつ、「併せ技」で打つ手は、この流れのどこかで、beni haさんも提唱する「デノミ」を打つべきだと思います。

by 伴睦 (2010-09-30 15:05) 

beni_ha

伴睦 様

コメントありがとうございます
お返事が遅くなりました

小生もあの「大機小機」を読みました
感想は一言、相変わらず「違和感」ありきです

ケインズの時代、およびケインズの国の公務員と今の日本の公務員の姿が違いすぎるからです
海外の事情をご存知の方なら、よくおわかりのはずかなと思います

日本の公務員が、
①安い給料で本当によく働いている
②尊敬に値する
③給料が上がれば、消費に回す
ということが確認できるのならそれも有効かと思いますが

実情は
①4人で5人分の仕事をしている
②貯蓄率が高い
③休みも取りやすく、国内消費に向かわず海外旅行等に行く
等、国内でお金が回らない可能性が高いのではないでしょうか

有識者の方は、何かというと「金融への期待」を口にされますが、「モノが動かなければ」お金も回りません

小生なら、銀行は預金預かり手数料を取るべきだと思います
お金が余っていますから、大切にかつ安全にお預かりするシステムを今のうちに作るべきです

①少子化時代を迎え、お金の管理が今まで以上に重要になってくる・・・・面倒をみる子どもがいない
②「預金手数料を払ってまで銀行にお金を預けない」という方々には
・実物資産に向かう(いわゆるものを買う)
・タンス預金にした人たちにはデノミが襲う
ということでいかがでしょうか

もし、世の中で資金が逼迫してくれば、手数料を安くすればいいのです

生意気言いました




by beni_ha (2010-10-03 10:56) 

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