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「なぜ?」を聞かない社会は危うい [みんなうすうす気づいている]


今の世の中、「なぜ?」と思うことがあまりにも多いようです。


国会の議論を見聞きしても、「なぜ?」と思ってしまいます。

「憲法改正」「働き方改革」などはそれ自体がすっかり目的化してしまい、そもそも「なぜだったっけ?」を今一度確かめてみたくなってしまいます。


「過労死⇒働き方改革」という図式だったとしたら、「なぜ過労死が起きたのか?」「今まではどうだったのか?」をつぶし込むことの方が先ではないでしょうか?


「自衛隊」の位置づけの問題で「憲法改正」をするのだとしたら、今までの「自衛隊」のどこが不都合なのでしょうか?「法律では対応できない」のでしょうか?


「消費が伸びない」ということの「なぜ?」を議論したことはあるのでしょうか?
「賃上げが行われていないから」と言うだけなら増えていく「年金生活者」の立ち位置をどう説明すればいいのでしょう?


「人手不足」はなぜなのでしょうか?
「景気が良くなったらしい」ので「人手不足」になったのでしょうか?
「少子化」が人手不足を生んだのでしょうか?


「景気の良しあし」は循環しながら巡ってきます。「少子化」や「人口減社会」だって予測できたことです。

昨日近所のスーパーに行ったら、出店のような形で和菓子(大福)を売っていましたが、そこには4人もの売り子さんがいらっしゃいました?
このご商売に4人も人がいるのでしょうか?
「パート」や「バイト」だからとしても、4人もいらないでしょう。


最近のラジオのコメント番組を聞いていてすごく驚くことは、「虫眼鏡で見るような議論」「話題が飛びすぎる議論」「あまりにも勉強していない議論」「他人ごとの議論」「貴族趣味の議論」「安物のコメンテーターの議論」「決めつけの議論」「議論のゴールが見えない」ということがあります。

「昔はこうだった」と言えば笑われてしまうかもしれませんが、昨今はあまりにも「言葉の遊び」の議論、「ショートノーティス」(短時間)での議論、「短歴史」の議論が多いような気がします。


「なぜ?」をもう少し問うことで「全体像」とか「そもそも論」に立ち返り「ああだこうだ」から「こう思う」に話を進めてほしくなりました





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