高齢者と学校給食 [無駄の効用かやっぱり無駄か]
先日「高齢者と学校給食」の話を書きましたがそれなりに反響もありましたので、もう一度丁寧にかいてみたいと思います。
高齢者と言っても「団塊の世代」(1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれ)の皆さんも70歳を越える年ごろにおなりになりました。
「時代が変わった」という声はいつの世の中にもある言葉ですが、「団塊の世代」の皆さんは戦後の学校制度の中でお育ちになった皆さんです。
また、「団塊の世代」よりも年長のご高齢者の皆さんであっても、お子様たちの成長を通じて今の学校制度をご覧になってきた方々です。
そういうお育ちになった時代背景に照らしながら、「一人暮らし」あるいは「二人暮らし」のご高齢の皆さんにも学校に行ってもらいましょうというのが私の考えです。
今さら「お勉強」というわけにもいかないでしょうから、わかりやすい話をすれば「給食を食べる」ということです。
「小学校、中学校で一緒に給食を食べる日を定期的に作る」
「可能なら子供たちと一緒に給食を食べる」ということです。
「空き教室」などを活用した「まるで地域食堂」のような姿を考えてもいいかもしれません。
狙いは、「子どもたちの見守り」と「高齢者の見守り」あるいは「避難場所へのアクセス習慣の醸成」がセットです。
ただ、それなりに反対意見もあるかと思います。
技術的な課題は相応に部署部署で考えてもらうことにしても、
●教員の負担が増える
その「たいへんさ」や「無駄」を見てもらうことで理解が高まります
●小学生や中学生の負担になる
「社会貢献」意識を高めることと「具体的な実践」につながる
●「誰が世話をするのか?」という意見
「高齢者対策」と言っているけど、そもそもそういうことは「誰がやっているのか」を考える機会になります
シニアの中に「給食当番」を作ってもいいし、ボランティアを募ることもある
大学が近くにあれば「大学生」の活用の場所です
※「消防団」とか「シニア向けボランティア」に参加していたというのは「就職活動」の際の面接では好材料になります
●「場所」がない
「工夫」すればあります
「避難所」になったらそんなことは言ってられないはず
副次的効果として
●運動会や発表会等に地域のシニアが行きやすくなります
●「災害時の避難所」を日頃から身近にできます
●参加されない高齢者のピックアップができる
今の世の中の困りごと政治課題を眺めて言うと、「子育て」とか「介護」とかどうも世代横串的な切り口が多いような気もします。
ベビーやトドラーの「子育て」世代も、何年かすれば「学童」「生徒」「学生」を抱える世代に映って行きます。
経済的な負担度合いを見れば中学生後半から大学生までのお子さんを抱える親御さんは相当しんどいものがあります。
「学校」という地域の代表的な仕組みにもう少し光を当てたらいかがかとそういう思いなのです。
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