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「〇〇新聞がつぶれる」という自虐型の拡販員 [無駄の効用かやっぱり無駄か]


ある日のこでした。
大手新聞の者だという人がやってきて「〇〇新聞がつぶれる」「支援のため〇〇新聞を取ってほしい」と言い出しました。


すぐさま「〇〇新聞がつぶれるというのは本当なのだろうか?」と思ってしまいました。
彼と話していると「読者が激減している」とのこと。


よくよく話してみると近所の「販売店の取り扱いが激減し、廃止になりそうだ」という趣旨のようでした。
「〇〇新聞がつぶれる」などと言うトークでセールスされてもなんだか同情する気も起りません。「自虐的」におっしゃっているのかもしれませんが、ある意味「派手な経営ぶり」の業界です。「支援のために新聞を取る」などということなど思いもよりません。

「このあたりのお宅は新聞の回収日を見ると貴社の読者は多いようですよ」「支援と言われても記事が面白くないので読む気はしない」と続けて言うと、彼は「本社に伝えておく」と言って隣家に寄ることもなく帰っていきました。


かつては朝一番に新聞を見ないと一日が始まらないような気分にもなっていましたが、今のご時世は「ネット」でかなりのニュースは時間に縛られず入手できます。
また、それらのニュースについての読者のコメントや反応も確認できることができます。


ラジオができた時、テレビが普及した時、キャプテンシステムが世に出た時など、都度都度「新聞が消えるかも」との心配も乗り越えてきた業界ですが、さてさてこのネット社会ではどうなることでしょう?

大手新聞社の配信記事が有料化されてたとしても日々の情報取得には大きくは影響しないような気もします。
「テレビ欄がなくなる」ということも今の時代では不便さを感じることもありません。
「年配者は新聞が読みたい」という現状があったとしてもネット世代が高齢化すれば「新聞紙」に戻ることはないでしょう。老眼が進むと面倒くさくもなってしまいます。
私の場合は「ネットで読んだ記事をラジオで深堀する」ほうが面白く感じます

時代の変化を痛感する今日この頃です。。。。

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