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「農業」を聖域とせず「産業」として考えよう [少し政治的な話を。。。。]

今回の自民党総裁選挙では、

「地方創生」
「農業」
「林業」
「中小企業」

というようないわゆる「地方の代表的な仕事」のことも話題になっていました。
国策として力を入れなければいけないのは当然ですが、候補者お二人の具体的な話は結局わからずじまいでした。


いずれもが多くのマスコミ、あるいは都会人には「仕方がない」とでも思わせてしまうようなお仕事です。


特に「農業」。
担い手の多くは「高齢者」で先行きどうなるのか? 的なご心配もなさっていました。


なぜ「農業」はこういうことになってしまったのかを考えなければいけない時期ではないでしょうか?

いわゆる「農民票」という選挙の重みの影に本来の「産業論」が隠れてしまったことに起因する側面を見逃せません

こういうことはなぜ起こったのかと言うと、

お百姓さんが手塩にかけて育てたお米」「お百姓さんが丹精込めて作った野菜

などという表現を使いながら、「食糧安保」というコアもあるため「農業=聖域」と長らく位置付けて来たからではないでしょうか!


「丹精」とか「手塩」という言葉は、中小企業の現場にも数多く見受けられます。
ところが「農業」だけが神格化されたかのごとく特別視されてきた傾向があります。
そんな農業なのになぜ後継者が減りつつあるのでしょう。


おそらく「手間がかかる」「儲からない」「収入が収穫期だけ」などと言った事情もあるかもしれません。
ここまで機械化が進めば、「3K職場」というわけにはいきません。

思い切って、日本の重要な産業の一つ」と言い換えてみませんか。

産業」という言葉を使うと、「企業」とか「経営」という言葉が生まれます。
「経営」という言葉を使うと「従業員」とか「コスト」とか「利益」という言葉が連想されるはずです。

IMG_4445②.jpg

写真は北アルプスの山々を望む富山の稲刈りの様子です。
新品の大きなコンバインを二人のおじさんたちが操作されています。

「いくらするのですか?」
「1200万円だよ」

「えー、コメ作りも大変ですねぇ。田植機から始まって機械倒れしませんか?」
「いや、営農組合で共同でやっているんだよ。あっちの機械もそうだよ。」
と別の田んぼを指さして教えていただきました。

IMG_4452②.jpg

「農協は割高なところもあるので、農協を通さずに肥料や機械などは買うことも多い。」
「収穫したコシヒカリはすべて供出する。」
「自分たちは地元にある大企業の工場を退職してから農業をやっている。」
「台風21号の影響で稲が少し倒れたのと、水気が多いが作柄はふつう。」


「早く社会保険のある企業にして若い人たちの職場になるように頑張ってください。」といってこの田んぼを後にしました。

このおじさんと話していると、「貧しい地方」とか「貧しい農業」という感じはしません。
「地方創生」とか「観光」と言った今様な流行り事も関係ないようでした。


あたりを見回すと「おしゃれな住宅がたくさんある地域」でした。
地方だからと言って「けっして景気が悪いわけではない」ようでした。



高齢者人口の高止まりが続く「人口減少」そして「人手不足」の中、基本に立ち返って「産業論」を考えなくてはいけません。




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