安田さんの「本」を読みたいですか? [どう受け止めたらいいのか]
昨日(18.11.5)のお昼のテレビ番組では「シリアで人質になっていた安田純平さん」の話題を取り上げていました。
私自身は彼の記者会見も見ていないし、テレビ・ラジオ・新聞などの報道ぶりもほとんど確認していないので軽々とコメントできる立場にはないのですが、
①この「安田さんをジャーナリストと呼ぶのだろうか?」
②そもそも「ジャーナリストってどんな人のことだろうか?」
③安田さんは3年4か月という長期の監禁(拘束)生活の直後だけに解放されたという高揚感が強すぎる記者会見・インタビューになってしまっている。
④テレビ・ラジオ局は「自局に出演してもらわないといけない」し、出版社は「出版物を担当したい」という思惑があるのでしょうから、取り上げぶりにバイアスがかかっているようにも見えてしまう。
⑤会見・インタビューでの安田さんのお話を聞くにつけては「そういえばこの人は何をしにシリアに行ったのだろうか?」
⑥私は赤信号で停止中に後ろから来た猛スピードの車に追突をされ、「車は全損」「私自身はよく死ななかったですね」とディーラーの担当者や医者の友人からも言われるような危険な目に遭いましたが、シリアで拘束された人の命の重さと、突然交通事故に巻き込まれてしまった私のようなものの命の重さと何が違うのだろう?
などと思いながら昨日のテレビ番組を垣間見てしまいました。(丁寧に見ませんでした)
「自己責任論」という話があったり「英雄のような」話があったりする中で、
●メジャーリーガーのダルビッシュ選手は、
「誰かがいかないと内情がわからないわけじゃないですか。そういう人たちがいるから無関係な市民が殺されるのを大分防いでいると思います」
「日本が戦争していてたくさんの人が殺されているなかで世界のどの国もが知らんぷりだったらどうするんだろう? 」
などとツィートされているようです。
●ビートたけしさんは、テレビ番組の中で、
「登山家や冒険家は成功すれば富と名声が得られて、失敗して救助要請等したらその費用は全額自己負担。結局この人って失敗したんでしょ?フリージャーナリストだけ政府の責任っておかしくない?」
「仕事の為に危険を冒して行くのはリスク。冒険家が山に登って遭難してヘリを呼んで救助隊に助けてもらった時に、成功してればいい写真と名誉とかあるけど失敗した場合に救助隊にお金を払うでしょ。この人は失敗したんじゃないの?単独だと無理があると思う」
などとおっしゃっていたようです。
●エジプト人のコメンテーターのフィフィさんは、安田さんの
「機材も全部奪われたんですね。機材があれば自らまた入り直してでも、彼らの正体を暴くか、もしくは、つながるものを見つけて帰りたいと思っていたので、それができない形での解放だった」
という発言にも憤っていらっしゃったようです。
彼の言動や体験に対する評価については私もよくわかりませんが、「命あっての物種」という言葉がふと浮かんでしまいました。
日時が経って落ちついてこられたら、ジャーナリストだという安田さんは「本」を世に出されるのでしょうが、記者会見などの話を聞く限りでは「私は読まない」だろうなと思ってしまいました。
素晴らしい「映画の脚本」のような「本」になるのではないでしょうか。。。。
ただ、「シリアでは結局何が起きているのかよくわからない」
彼が伝えたかった話も「安田さんが主役の話」に変わってしまったようです。