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「得意分野づくり」こそ教育に求められている [どう受け止めたらいいのか]


また痛ましい事件が起きてしまいました。
犠牲になられたみなさんにはおかけする言葉が見つかりません。


こんな時に思うのは「加害者」像のことです。
・なぜ?
・何のために?
・どんな生活をしていたんだろう?
・どんな人?
・経済的な状況は?
・家庭環境は?
等々。

いろいろなストレスがあり、それがこういう形で爆発してしまったのかと思うと残念でなりません。


加害者について一つ想像できるのは、社会的評価が低かったのではないかということ。
表の顔、裏の顔。。。人にはいろいろな側面がありますから一概に断ずることはできませんが、「社会的評価=得意分野」だとすれば比較的わかりやすいのではないでしょうか?


例えば「戦後復興」期や「高度経済成長」時代は、多くの人たちの目指すベクトルは一つで、「豊かになりたい」でくくることができたのではないかと思います。
「歯車」や「仕組み」の中に上手く入り込めれば相応に豊かになれたものだったのではないかと思います。


今のような「豊かな時代」そして「AI」などコンピューターの進歩や「国際分業」の進展の中では「流れの一員」と言うだけでは評価されにくくなっています。
何をやっても平均点では物足りなく思われてしまいます。
特に「多様化」だとか「人それぞれ」などと言う言葉で評せられる時代になってしまうと「居場所がなくなる」ことに直面したり当惑したりしてしまうことが多いのも実情です。


敢えて「評価」という言葉を使ったのは、
●誰でも評価されることは嫌ではない
●「一目置かれる」「尊敬される」と同義語
●人間社会の中で自分の存在が役立っていると実感できる
ということにつながるだろうと思われるからです。


今回の事件のような「社会病理」は精神論や文学的表現や政治対応や財政措置で速攻解決する問題とも思えません。


今まで私が見てきた「いい企業」というのは得意分野が明確でした。
そこでは、リードする人も働いている人も「得意分野」が明確であったというケースが多かったようです。
そこで生まれたのは「質感(クオリティ)」の高さというものだったように思います。



今の日本、「町おこし」「地域の活性化」「地方創生」「地元貢献」とか「観光」に力を入れていらっしゃる地域が数多くあります。

なかなかうまくいっていないような気がします。
私が感じるのは「あまりにもクオリティが低い」という特徴があるようです。
平たく言うと「他に勝る競争力や特徴がない」ということです。
税金の投入とマスコミの喧伝に塗されていますのでなかなか気づかないし、また「言ってはいけないこと」視されている現実もありますから課題は顕在化しません。


チコちゃんではありませんが、私が言いたいのは、
もう少し「得意分野を育む教育」が必要ではないのか!
ということです。

「好きこそものの上手なれ」という言葉もありますが、「得意分野で飯が食え得意分野が周囲の人から評価される」ような社会が求められているのではないでしょうか。。。



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