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別腹のお金~「お金持ち」と「貧乏」の境界線 (市川市のテスラ) [みんなうすうす気づいている]

千葉県の市川市の公用車購入(リース)問題ににわかに光が当たりだしたようです。

公用車のテスラモデルX「高額すぎる」?(2019.7.2 産経新聞)
https://www.sankei.com/politics/news/190702/plt1907020035-n1.html

一度予算案を承認した議会も「導入見直しを求める決議」が採択されたとか。


このケースの場合は財政支出上の課題があるのかどうかはよくわかりませんが、「庶民感情」とは距離がずいぶん遠いような気がします。


なぜこんなことが起きたり、後で問題になったりするのでしょう。
これには「お金持ち」と「貧乏」のお金の管理の考え方から生まれてくるところもあるようです。

同じような所得なのに「お金が貯まる人」と「お金が貯まらない人」ができてしまうのはなぜでしょうか?
という問題に置き換えて考えてみると思い当たることがあったりするはずです。

たとえば比較的給料の安定している銀行員でもそういう区別が起きてしまいます。

片や、支出が堅実で「生きた金は使うが死に金は使わない」タイプ
片や、「それにそんなに使うの?」と言ったなんとなく無駄遣いをしてしまうタイプ

つまり、
●「お金持ち」や「お金が貯まるタイプ」は収入や資産総額の中で支出を考える傾向があります。
●「貧乏」や「お金が貯まらないタイプ」は収入や資産に関係なく別腹の多額支出がある傾向があります。

別の言い方をすると、「身の丈」を超えるか超えないか?というようなことかもしれません。

具体的には、「車が高級車」「行きつけの飲み屋が高い」「高価な洋服」「趣味に多額な支出」というようなことに驚かされることがあったりします。

とかく「お金持ちはケチ」と言われる所以もこういうところから生まれてくるのかもしれません。
「それぐらいいいではないか?」と思う人がいる一方で、「生きたお金」「死んだお金」の見極めの巧拙をつかまえて「ケチ」論が出発しているような気がします。


人様の嗜好や趣味に異論を唱えるのは失礼なのですが、これが財政支出となると評価も違ってきます。


とある地方でお話ししていた時のことでした。

こういうことをなさったらいかがですか?」と申し上げたら「それはずいぶんお金がかかるのでできないのです」とお返事が返ってきました。
すかさず「ああいう使われてもいない不要な施設にお金を使うことにどなたも不満・不平を言わないで、必要なことにはお金がないというのもおかしくないですか?」と問いかけると、「それとこれとは別なんだ」と。

クレバーな財政支出をする地域と別腹的思考の財政支出をなさる地域での「住みやすさ」感覚はおのずと異なってくるはずです。

「お金がない」「貧乏自治体」という言葉も休み休み言いなさい

と思ってしまいます。


しあわせはお金では買えないが、経済的安定は豊かさをもたらす

こんな風に考えることも必要ではないでしょうか!


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