「ステイホーム」は「老後の準備」かも [どう受け止めたらいいのか]
新型コロナがまん延してすっかり定着したものはマスク他いろいろあります。
例えば「ステイホーム」もその一つ。
・不要不急の外出はしない
・旅行はしない
・外食はしない
等々「しない」尽くしです。
緊急試合宣言で「県境を越える」のもはばかれるので車で出かけることも減りました。
しかし、よーく考えると、いつからかよくわからない「老後」の練習のような気がしました。
・お金がないので「外食」はしない
・免許返納したので「車の遠出」はなし
・不必要に都心に出かけることもなし
・お金を使うので「人と会わない」
・終活を考えたら不用意に「ものは買わない」
等々、「老後」というか「高齢者の生活」というのはこういうものかと思ってしまいます。
特に趣味がないので、家では「テレビを見る」のがメインです。
「映画のチャンネル」の契約をしているので何とか救われます。
昔と違い、それなりの大画面でしかも画像がいいので十分満足しています。
しかし「理由なき渇望感」に襲われることもしばしばです。
「何かをやりたい」「気分を変えたい」と言うものです。
悲しいのは「若い時と違い」気持ちの渇望はあっても肉体的・経済的にそれを許してくれないことです。
私はパソコンが使えるのでそれなりに気分転換は図られていますが。。。。
ステイホームは老後の練習と思ってみればそれなりに有意義だったりします。
まだ足腰が普通に動くので、ここに「車いす生活」「ボケ」が入ったらどうなることかという不安はあります。