大阪、近江、伊勢(松坂)、堺、博多、長崎、富山、甲州、紀州等々かつて隆盛を極めた地域には、有名な商人群がいらっしゃるようですね。

「日本の三大商人は誰?」とみなさんに尋ねると、いろんな回答が返ってきます。

堺の商人というお答えがたいへん多いですね。 堺の商人は、信長・秀吉の時代の豪商で、千利休などなど有力者が多いことから記憶に残る人も多いのでしょう。
・今の流通業界の三越、イオン等々は皆さん伊勢がルーツのようです。
近江商人というのもよく名前が出てきます。 そうです大阪船場の商人のことです。
西武グループのルーツは近江であったと思います。
・なにわの商人(あきんど)と言われ、日本の台所であった大阪の商人もよく名前が出てきます。 豪商:鴻池に代表されるような力のある商人がいたからですね。
・もちろん江戸にも力のある商人がいたはずです。
おそらく時代とか地域とか商売のスタイルとで、その見解も分かれていくのでしょうね。

さてさて小生は、次の三つの商人がなぜか気になります。
近江(滋賀)、越中(富山)、甲斐(山梨)の三つの商人です。
この三つの商人(地域)は、よく似たところがあります。

1.ロケーションが似ている。

①地元は山に囲まれた要塞のような地域である。
②商売の主戦場は地元になく、その地元から出て行って商売をした。

 家族は要塞の中に住まわせ、ビジネスの主戦場は地元以外のところに求めています。
特に、近江、甲斐の国は、それぞれ大阪(なにわ、船場)、東京(江戸)・静岡という大消費地を控えており、山を越えて大消費地にアプローチし、また、越中(富山)は、南に北アルプスの高い壁があることから、北に面する日本海から船を使い全国に出て行ったことも多かったといえるのかもしれません。

※「昆布」の消費の多い地域として沖縄・富山は有名ですが、北海道で取れた昆布は、「北前船」で日本海を回り、能登(北陸)を経由、関門(博多)を経て、琉球に渡り、中国との交易に使われたらしいです。

「てんびんの詩」と言う映画がありますが、近江の商人は出歩いて商売をするということが色濃く出ているような気がします。 「行商」することで商売の極意を会得していくところに商ビジネスの基本を見るような気がします。

 近江商人が目立たないのは、彼らは、船場に居を構え船場の商人と名前を呼ばれたからです。
同じように、甲斐の商人も静岡に山越えして商売をしたのです。 富士急行などはその典型例ではないでしょうか。。。。
 「反魂丹」(はんごんたん)という富山の薬売り(置き薬)の手法もさすがです。 家族の住む要塞からでて、全国をマーケットにした手法(仕組み)です。

 また、北海道に行くと、富山を代表する銀行である北陸銀行の看板を目にされることと思います。 これは富山の人が北海道に住みつき、お金の流れをコントロールする銀行も付いていったと考えると興味深いです。 また、大阪船場、あるいは東京日本橋の繊維問屋街に滋賀銀行の支店が立地するのも特筆すべき事項です。

 近江=船場、富山=北海道という住み替えビジネスも発生したのも、住み替えてもメリットがあるまでにビジネス規模が大きくなったと言うことでしょう。

※余談ですが、銀行の立地を見るとお金の流れがわかることがあります。 何でこんなところに銀行があるのだろうお思いの場合は、そこでお金が動いたからであり、その銀行にゆかりの地方の方がビジネスをしたと言う証左です。
 また、企業の取引銀行のいわれも想像してください。 その企業はなぜその銀行と取引きをしているのかと考えてみるのもビジネスのうえでは有用なことです。

2.大陸(中国、朝鮮)の影響がより強いかも。。。。。。(独断ですが。。。)

と言うことです。
近江の「江」、越中の「越」、甲斐の「甲」と言う一つ一つの文字、あるいは「江州」「甲州」と言う文字は、おそらく気のせいですが、どこの地域よりも「中国」「朝鮮」の香りがします。

山梨の「梨」と言う文字も、朝鮮半島ではいい意味で使われているのではないかと想像します。 「梨花女子大」などという名前の大学もありますから。。。。。

日本の技術・文化は大陸~朝鮮半島を経由したものが多いですが、商才に長けた一族が移り住むにあたり、主人が留守でも安全に一族を守る「より要塞的な地域」に住んだとみることもできるのではないでしょうか。。。。


※余談ですが、京都「祇園」を発展させた主役の一つにこの近江の商人の力があるのではないかと思います。
「祇園」は、彼らのビジネスの場である大阪と家族の住む近江の中間地点であったというのも何かの縁ではないでしょうか。 また、馬を引いて岐阜の花街まで通いつめた挙句、身代を減らした近江商人もあったようです。

※090404加筆
本日の日経新聞(朝刊)「春秋」によれば、「高度な技術とともに朝鮮半島から渡来した人々」「高麗(こま)郡と呼ばれたこの一帯だけではない」「未開拓地だった関東平野の各地に移住した「北朝鮮の高句麗系の渡来人」」等々の話が載っています。
埼玉県の日高市周辺らしいのですが、そう思うと、山梨県に巨摩(こま)という地名があるのも納得がいくかもしれませんね。