「発言の内容に責任を持つ」ってどういうこと?(ある知識人の言葉より) [仕事についてのエトセトラ]
昨日(16.2.23)の読売新聞の夕刊の「いま風」というコーナーにある大学の先生のご意見が載っていました。
「発言に責任を持つマナー」
「軽薄な知識はいらない」
という見出しに代表されるご意見です。
京都のある割烹での光景を引き合いに出しながら、
意見を述べるということは、その発言の内容に責任を持つことだ。その自覚を持っている人が、今どれぐらい、いるのだろうか。と結んでいらしゃいます。
割烹での光景はこうでした。
・一人静かに、お酒と食事を楽しんでいた。
・男女4人連れの年配の観光客は訪れた有名料亭の話に花が咲いていた。
・常連客は板前さんに向かって京都や東京の有名店での経験を話している。
・いずれの会話も、いやが応でも耳に入るほど声が大きい。
・料理を楽しむ店なのにと、苦々しい思いで聞いていた。
・酔いが回るにつれ、常連客が4人連れの観光客の会話に入り込んで料理屋ワインなどの蘊蓄を披露する独演会になってきた。
イメージは沸きましたでしょうか?
コメンテーター氏がおっしゃりたかったのは、どうやら、
〇情報や知識はきちんと調べたうえで真偽を合理的に自分で判断して初めて、人前で語れるものだ。
〇インターネットやテレビ、新聞などの受け売りで手に入るものではない。
〇その意識が薄れた結果、本来はその専門性の深さゆえに、専門家として尊敬されるべき人たちが、逆にその知識の狭さゆえに馬鹿にされる。そんな時代になってしまった。
〇軽薄な知識に基づく人たちの発言や意見が、普通の人ゆえにもてはやされるようになる。
などということのようです。
読んでいると、
・おっしゃりたいことはなんとなくわかるような
・むつかしいような
・見当違いのような
・たとえが悪いような
気がしてきてしまいます。
「一人静かに、お酒と食事を楽しんでいる」と言われても、それはあなたの考え方であり、私たちは私たちのやり方で楽しく食事をしたい。
と反論されたらそれまでです。
プライベートな酒席での「いいかげんっぽい」話もそれはそれで楽しいものです。
肝心なのは
「お店の経営者がどう考えていらっしゃるか」ということです。
あるいは
「あんなうるさい店は二度と行かないという評判が立ち、商売がうまくいかなくなる」ということです。
特に、この光景から「発言の内容に責任を持つこと」と言われても、そもそも理解できません。
おそらく
「発言の内容に責任を持つ」=「うそを言うな」
ということをおっしゃりたかったのかもしれません。
仕事の場での話には、そもそも「うそなのか」「アバウトな話なのか」「詰めて考えた話かどうか」という前提を明確にすればいいのではないでしょうか!
「発言の内容に責任を持つ」などと大上段で言われたら、会議などでは意見を言えなくなってしまう危険があります。
確かに「あの話はどうなったの?」「本当にそうなの?」という話が多いのも実情かもしれませんが。。。。。
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