親が子どもを「不登校にする」例もある [どう受け止めたらいいのか]
「不登校」と言えば何かと話題になる昨今です。
先日のこと、ある田舎町に移住してきたばかりの方とお話しする機会がありました。
私「なぜこの町に移住をしたのですか?」
彼「小学校2年生の子どもが不登校で、不登校の子供のためとこの町が気に入ったからです。」
私「お子さんが不登校になった原因はわかっているのですか?」
彼「実はある県で『自然保育』に通っていました。ところが小学校に入学して椅子に座って授業を受けるというスタイルになじめず、学校に行かなくなってしまったようです。」
私「その自然保育はお子さんが選んだのではなく親が選んだのでは?自然保育という仕組みを使わず普通の保育園に行き帰宅した後や休日を自然に親しむという形でもよかったのでは?」
彼「ご指摘のとおりです。親のせいの部分もあります。ただ、いろいろな教育方法があってもいいかなと思っています。」
私「そういうのは親御さんが決めているだけであり、お子さんの人生やライフプランまで踏まえていなかったのでは。」
彼「(私の指摘に返す言葉もない様子)」
私「今までどこに住んでいたの?」
彼「〇〇県です」
私「そこなら自然がいっぱいで子育て先進県だったのではないの?」
彼「そうだったのですが。。。。。」
私「そこではお仕事とは何をしていたの?」
彼「農業です。ブルーベリーとトマトを作っていました。」
私「ここでは何を?」
彼「移住したばかりなのでこれらかですが、同じように畑を借りてブルーベリーとトマトを作ろうと思っています。トマトは寒暖の差があると美味しいということなのでここは適地だと思います。」
私「ブルーベリーとトマトの栽培で食べていけてたの?」
彼「ギリギリでした。」
私「あれ?車のナンバー△△ナンバーですね。と言うことは〇〇県ではないよね。」
彼「△△県は生まれ育ったところです。」
私「〇〇県も△△県もここと同じような土地柄だよね。」
こんな会話をしていて気づいたのは、
「移住」「自然保育」「農業」というキラーワードの情緒的な部分が光って見えてきました。
30歳代後半だという彼は「教育のあり方論」(複数の教育組織があってもいい)的な思いに熱いものがあるようでした。
彼の今までの人生がどんなものだったかはわかりませんが、私から見れば「どこかに違和感」があるような気がしました。
「大麻には近づくなよ」
と言って別れました。
ヤギのようなあごひげを見ているとそういう風貌に見えてしまいました。
〇〇県や△△県への思い入れもさほどないようです。
私の方が詳しいこともありました。
親の都合で転地を繰り返すことも多様的な考え方と言えばそれまでですが。。。。
お子さんの類まれな才能が開花し通常の保育園、学校に行かなくてよかったねと言うことになれば何よりです。
いわゆる「自然保育」からの通常の小学校に入学した際の「マナーの悪さ」「授業中席に座っていることが続かない」という話をこの町の方々が話していました。
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