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教師よ立て!・・・・教育の現場が見えてこない [鈍感日本人への警鐘]

このところ教育現場の話が大きく取り上げられています。

一つは、体罰による自殺問題(大阪:桜宮高校問題)。

一つは、教員の早期退職問題です。

さて、みなさんのご関心はどこにありますか?
どんなことが印象に残りましたか?

私はと言えば、

ある高校で、教頭先生が早期退職をなさり、卒業式を迎えるというのに、教頭先生の机が空席になっているということでした


上に挙げた二つの問題に共通しているのは「先生」です。


①「人はパンのみにて生きるにあらず」的なことをおっしゃっていた先生が、目先の退職金のことで退職なさる。

②「ルールを守れ!」とおっしゃっている人たちが、決まったルールを批判する。

③「制度が悪い」とおっしゃる方々も同様です。

なぜこういう制度を決めざるを得なかったのか。。。。
と言うことにも思いやって欲しいものです。

「公務員改革、云々。。。」とおっしゃっている方々が、「制度が悪い」的におっしゃるのはなんだか違和感があります。

④「生活費等の経済的問題」云々とおっしゃる方も多いようですが、「公務員」の皆様にその程度のことを言って欲しくない!
今までの勤務状況を考えれば、十分高額の報酬をもらっていらっしゃったと思います
かつ、共済年金も多いはずです。


「子どものことを一番よく知っている」と言うほどには「子供のことはご存じないんでしょ!」という気もします



さて、大阪の桜宮高校問題ですが、橋下市長のスタンドプレー的な言動が話をわかりにくくしています。

彼の発言をよく聞いていると

1.改革者たらんとしている。・・・これはこれで評価

2.しかし剛腕の言いっぱなしの部分が多数見られます。

たとえば、

①「首長が。。。。。」「トップが。。。。」と、さも自分がやらなければいけない的なことをおっしゃっている割には、

・「教育委員会」の問題
・「保護者」「生徒」も考えを変えてほしい
と。。。。。

・また、著書に書いているのは、「大阪府立の高校のこと」であり「大阪市立高校のことではない」とも

口ほどになく、攻め込まれると逃げてばかり(あるいは、話題をすり替えている)発言が目立ちます


「体育科の入試を中止」止めなければいけないほどの「大事(おおごと)」なら、普通科の入試も中止するのが筋でしょう。

なにが、どう変わるのでしょうか。。。。。

教育の現場は、「生徒」と言う生身の人間が育っていくところであり、走りながら考えなくてはいけません。

確かに橋下市長は「走りながら考えて」いらっしゃいますが、それはいろいろなことに口を出し過ぎで、走りながら考えながら言動しているだけであり、問題や課題が「走りながら」解決の方向に向かっているわけでもないようです。


③大阪:桜宮高校で、あるいは大阪の高校で、あるいは日本全国の高校で、あるいは教育の現場で

・何が起きているのか?
・それはそこだけに特別な問題なのか?

よく伝わらないまま、「体罰が原因で自殺者が出た」と言うことに光が当たり過ぎています。

それはそれで大変なことですが、やはり切り分けて考えなければいけません。



評論家諸氏に申し上げたいことがあります。

「教育問題」と言うのは、だれでも語りやすいという側面がありますが、あまりにも言いっぱなし過ぎませんか?

①「現場でワークするのか!」という視点
②「自らのご子息の問題」という視点
③「何をするのか」という視点
④「誰がやるのか」と言う視点

こういうことを総合的に考えて課題解決の方法を示して欲しいものです。


企業の人材教育の現場は、もっと優しく、現実的です。
「いい人材」こそ企業の宝ですから。

ですから、「みなさん汗をかき、知恵を出し、工夫をする」のです。


今回の教育の現場の話について思うのは、

1.教師よ立て!

第一義的には、「教師が燃えなければ学校教育の現場は変わらない」と言うことでしょう。


2.橋下市長へのお願いです。

いろいろなことに口を出し過ぎです。
一つ一つ課題を解決するようにしてください。

せめて、

①わかりやすい「解決の方向」を示唆すること。

②「番頭さん」を活用してください。

顧問がたくさんいらっしゃるようですが、今の状況は「自らの正当性をカバーするためのもの」であり「現場を改善する」ための動きになっていないようです。


教師よ立て!

そして、

①汗をかき
②知恵を出し
③工夫をしよう

です。


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noga

「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この上下感が日本人の判断を狂わせている。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
「がんばって」の掛け声のようなものか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

by noga (2013-01-28 09:34) 

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