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新聞の「編集委員」氏のコラムが面白くない [小さな親切、余計なお世話]

そもそも「新聞の編集委員」というお仕事あるいはお立場がどういうものかよくわかっていないので誤解かもしれませんが、

先日の読売新聞(15.9.29)の編集委員氏がお書きになった「地球遊泳」というコラムの意味がよくわかりませんでした。

「新国立 工事費増は誤解?」

と題するコラムの中で、おそらく編集委員氏のご意見だろうと思う箇所

「五輪準備委の諸問題は、今後も出てくる。議論は深めるべきだが、五輪という機会を生かし私たちや社会をどう変えたいのか、その未来のためどんな対価を払うのかという視点のない、コスト批判や政治判断は願い下げである。五輪の成否とは、誰かが責任を取って済む話ではない。私たち自身の選択の帰結でもあることを、心にとどめたい」

を読んでみると、思わず「うむ?」と声が出てしまいました。


この御意見の意味するところはどういうことなのでしょうか?

1.五輪という機会を生かし私たちや社会をどう変えたいのか、その未来のためどんな対価を払うのかという視点のない、コスト批判や政治判断は願い下げである。

必ずしも私たち国民が「東京オリンピック開催を望んだわけではない。」
~私は「あればいいな」くらいの軽い気持ちの受け止め方でした

「未来のためどんな対価を払う」とはどういうことなのか?
~そんなに重たい話なのでしょうか

そういう視点のない「コスト批判や政治判断は願い下げである。」とはどういうことなのか?
~そういうマスコミの皆さんはどういうスタンスで報道されたのだろう。
コストや不透明な政治判断に素朴な疑問を持つのがそんなに悪いことなのか?


2.「私たち自身の選択の帰結」と言われても困る。

~私には何かを選択した思いはありません。不条理に税金が使われていることに憤りを感じているだけです。
極論すれば「東京オリンピック」のためだけの「プレハブ建築」でもいいと思う。


3.私には論点が理解できない議論だったのだろうか?

この点はよくわかりません。
もっとシンプルに考えたらいいのではないかとも思う。


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