「文春」の空砲と「新潮」のさざ波 [どう受け止めたらいいのか]
ちょうど1週間前の木曜日のこと、久々に「週刊文春」と「週刊新潮」を買い求めました。
「文春」には阿川佐和子さんの手記「今更ですが私、結婚しました」があり、「新潮」には「『文春砲』汚れた銃弾」なる物騒な見出しが気になったからです。
ところが久々に買った割にはまだ読み切っていません。どうも気乗りがしません。
阿川さんの結婚話も「ご自身で書かれない方が。。。。」というような気もしますし、「文春」による「新潮」の見出しドロボーの話も「中身で勝負ではないの?」「電気屋さんに行けば似たような電気製品が売ってあるのとどこが違うのだろう?」などと思ってしまいました。
そういえば「不倫話」に盛り上がったのも今は昔で、「それがどうしたの?」と思うことも。
「日本の明日をえぐる」ような話だとか「地方の立ち遅れと税金の無駄遣いを暴く」ような話に期待するのは私だけでしょうか?
新聞が「公器」としての役目に違和感があるような昨今、「文春」さんと「新潮」さんには期待しているだけに「切れ味」の悪さを感じてしまいました。
「新潮」では、「品格を旨とされる藤原先生が少し丸くなられたのではないか」(管見妄語)と思ってみたり。。。。
浅草神社境内での先生のお姿を思い浮かべてしまいました。
本日(17.5.25)発売の両誌は、6月1日号だとか。
季節の移ろいは早い。
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