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光市母子殺害事件「死刑判決」のマスコミの報じ方への違和感 [鈍感日本人への警鐘]

1999年4月、山口県光市で起きた、少年による母子殺害事件の判決が確定した。
被告の元少年は「死刑」である。


翌日である昨日(2013年2月21日)の新聞は相応に大きな採り上げ方をしています。

が、日経新聞:朝刊一面コラム「春秋」を読んで失望してしまいました

この筆者は、大学でまじめに勉強された方のようで、刑事処罰が「応報刑」なのか「教育刑」なのかゼミナールで議論しているようでした。

あるいは、少年犯罪の受け止め方とか裁判員裁判の課題だとかとおっしゃることにウエイトがかかっているような気持ちが伝わってきてしまいます。

この筆者は
・何歳くらいの人だろう?
・家族はいないのか?
などとふと思ってしまいました。

朝から不愉快な気分のままでした。

①本村さんご一家の幸せになる権利を奪った加害者を許せるのか!?
②この償いはどうするのか?
③「お前さえいなければ。。。。。」との恨みをどう晴らすのか?
④自分の身内がこんな目にあったらどう思うのか?

と思わず思ってしまうような「惨い事件なのに、大学のゼミのような見方でいいのかよ!」と思わずにはいられませんでした。

そして、自分の息子が加害者だったとしたら
①どう償うのか?
②死刑の重みをどう受け止めるのか?
③命乞いをしたくならないのか?
などとも朝から考えてしまうほど悲しく受け止めてしまいました。

帰宅して、読売新聞の夕刊「よみうり寸評」を見て少しホッとしました。


皆さんはどのように受け止めましたでしょうか。。。。。


仕事場で部下に聞いてみました。
答えた二人は、息子を持つお母さんです。

二人とも「息子には罪を償わせる」と・・・・・

私は、「命乞いをしてやりたい親の気持ちは残る」と、複雑な思いを答えました。


テレビのあるキャスターは、「少年が育った社会環境も考えなければいけない」というようなことを例によってコメントしていました。。。。。。
相変わらずです。




(参考)


1.日経新聞は、

①社説(冷静に議論を続けたい「少年と死刑」)では、

・未成年者が起こした重大な犯罪について、司法が改めて厳しい姿勢を示した。
厳罰化を求める世論の高まりや遺族感情に沿った判決だといえる
・少年に死刑を適用する難しさは浮き彫りになった。
・「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」という反対意見があった。
・結局は、一つ一つの事件を慎重に検討していくしかない。
・少年の精神の未熟さや更生の可能性を見極めるという、プロの裁判官でも難しい判断を市民が行う時代になっている
・少年の成育環境や、それが犯行に及ぼした影響、更生できるかなどを判断しなければならない。
・裁判員時代における、私たち一人ひとりの問題として考え続けていかなければならない。


②一面コラム「春秋」では、

犯行当時18歳1か月の被告に言い渡された死刑判決をどう受け止めればいいか。答えはすぐには見つからない。
・結局のところ、事件が重くのしかかってくるのは、3年前に裁判員裁判が始まったからだろう。


2.読売新聞は、

①社説(残虐性を重く見た最高裁判決)では、

・残虐極まりない犯行には、年齢を過度に重視せず、極刑で臨む姿勢を明確にしたと言えよう。
・厳罰により、少年の凶悪事件に歯止めをかけたいという最高裁の意向がうかがえる。
・年長少年を「大人」と見る風潮は強まっている。
・難事件を、市民はどう裁くか。裁判員の視点で考える契機としたい。

②関連記事(いわゆる「三面記事」解説)

・この10年余りの間で進んだ厳罰化と被害者重視の流れの象徴でもあった。
・日本の刑事裁判は長く被害者を置き去りにしてきた。
・被告は、理解しがたい弁解を繰り出して、更生とはほど遠い姿を見せた。
・真摯に罪と向き合うことの大切さも光市事件の教訓だった。

③夕刊「よみうり寸評」

・遺族・本村洋さんの13年に頭が下がる。
・苦しさに堪え、悩み続けながら「この国の社会正義が示された」と言えるところまでたどりついた。
・13年前、被害者の遺族は裁判の展開に全く無力、蚊帳の外の存在。そんな司法を本村さんたちが変えた。
加害者が少年であるということを過度に重視することへの戒めだ
少年といえども重大な結果には責任を負わねばならないということだ


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