「観光」という罪な言葉 ~信仰の趣のない神社仏閣~ [旅紀行・県民性の謎]
今年は「行動制限のないGW」だったそうで、テレビのニュース番組でも各地の賑わいぶりが紹介されていました。
「観光」を標ぼうされる地域の皆さんはさぞやお喜びのことでしょう。
ところで「観光」に力を入れるあまり本来の風情や佇まいの魅力を見失ったところもおありなのではないでしょうか。
特に神社仏閣がそうです。
観光客への「おもてなし」(らしい)言動が増えたため、「線香の香り・読経のない」お寺、「祝詞・雅楽の聞こえない」神社も増えました。
「御朱印」集めに対応することがメインのところもできてしまいました。
私の知るある古刹。
国宝も重要文化財もあるにもかかわらず、「コロナ前から観光客が減った」と住職は嘆いていらっしゃいました。
そりゃぁそうでしょう。
このお寺には「信仰」の香りがしないのですから、「見た見た」とガイドブックをマーカーで塗りつぶすようなお客さんも増えたのでは?
そしてかつてからの参拝客も高齢化し、バリアフリーに対応していないこのお寺を訪れる「お年寄りも減る一方」なのでは。。。。
ディズニーランドもユニバーサルスタジオもあるいは人気の神社仏閣も、その多くはリピーターではないでしょうか?
「どんな客が来ているのか?」の分析もなく「客が減った」と嘆いていても客は増えないでしょう。
ご住職の軽いノリの観光案内ではリピーターは満足しないでしょう。
古刹が持つ重厚さがますます薄れてしまいます。
ご本尊にお参りしないで帰ってしまう観光客もいそうです。
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