サントリーは中小企業の教科書 [企業経営の風景・裏付けのない経営学]
サントリーの話題が新聞紙上を賑わしています。
以下は、小生が、サントリーの関係者の方から伺った話です。
もし、事実と異なることがあったとしたら、小生の聞き間違いということでお許しください。
サントリーのことはあまりよく存じ上げませんが。。。。。。
中小企業の教科書かもしれません。
この時は
①サントリーはなぜ上場しないのか
②食品産業が気をつける点
というような趣旨を織り込んでほしいというご講演をお願いいたしました。
1.サントリーは、赤玉ポートワインからスタートした。
創業者(?)が、ポルトガルのワインに目を付けたが、赤道を越えて輸送するには腐ってしまう。
薬問屋に奉公したことのある創業者は、「砂糖」が防腐剤になることに目を付け、ワインに砂糖を入れたとのことでした。。。。。ワインは甘いものという記憶のある方は、赤玉ポートワインでワインの味を覚えたことによるのではないか。。。。。。
2.サントリーは何度かビールで失敗した。
赤玉ポートワインで儲け、ウイスキーで儲けたサントリーは、周囲の反対を押し切ってビール工場を建設したが、やはり、何度も失敗している。
その理由は、「サントリーのビールはウイスキーの味がする」と評判になってしまうことも一因らしい。
3.サントリーのウイスキーも最初は失敗した。
赤玉ポートワインで儲けたお金で、ウイスキービジネスに進出するも、失敗の連続で在庫の山だったそうです。
ただ、ウイスキーがビールと違うのは、在庫で寝かしておくうちに、ウイスキーが熟してきて、実は質のいいものに変化していったそうです。
4.サントリーのウイスキーは旧日本軍で評判になり、それはアメリカ軍も知っていたらしい。
ウイスキーを作っていた山崎の工場は空襲を受けなかったとのことです。
終戦となり、進駐軍が真っ先にやってきて、このウイスキーを接収してしまったそうです。
そこで、先代は、米軍に、ウイスキー代金を集金に行ったらしいのですが、米軍の偉いのは、ちゃんと代金を払ったという逸話もあるそうです。
5.いまさら上場しなくても。。。。。。
①資金調達も上場企業以上の水準でできること
②採用も人気ナンバーワン企業であり困らない
③基本はオーナー企業である
という事情があったようです。
6.サントリーには文化事業とか介護事業のような企業メセナの文化がある。
上場してしまうと、こういった文化事業は、投資家から真っ先に批判され切り離しを求められてしまうとの懸念があるらしいのです。
7.学生の就職人気が高すぎて、実は困るそうです。
実際の採用は100人程度でも3000人くらいの応募があるそうです。
2900人の人は採用しないのですから、サントリー社の入社試験を落ちた瞬間からサントリーを嫌いになってしまう人が2900人もできてしまう(サントリー製品を飲まなくなる)心配もあるそうです。
8.市田ひろみさんがCMで宣伝したお茶は一年でマーケットから消えた。
人気がありそうでも、商品寿命を長くするのはかなり難しいらしいのです。
「京番茶」と言ったのでしょうか。
9.選び抜かれた商品でも売れないものができる。
コカ・コーラに対抗するということで、
①CMディレクターには当時売れっ子であった川崎徹、
②コピーライターは糸井重里、
③アートディレクターに横尾忠則、
④CMソングには坂本龍一
を起用してできた清涼飲料に「サスケ」というのがあったそうです。
しかし売れ行きの方はさっぱりで、早々に、マーケットから姿を消したらしいのです。
「サスケ」という名前が彷彿させるように、黒いボトルで黒い飲み物だったようですが、主なターゲットは子供だったことから、世のおかあさんたちから「こんな得体のしれないものは子供には飲ませられない!」と総スカンを食ったらしいのです。
このあたりは、サントリーが「食の安全」感覚を企業風土として身につけて行かれた実証例だそうです。
10.開高健は、トリスバー向けの「洋酒天国」というPR誌の編集社員だった。
サントリーに勤めていた奥様の退職と引き換えに入社したのが彼だったとのこと。
芥川賞の受賞とともに多忙となり、退職していくのですが、その後任に彼から紹介されたのが山口瞳だったとのことです。
「江分利満氏の優雅な生活」という話は、山口瞳がサントリーの社宅に住んでいて見聞きしたことのようです。
図らずも、演者は、そのモデルにされたらしいのです。
彼もまた直木賞を受賞するのです。
小生は、サントリーの中で実際に働いたことがないので、その厳しさは想像だにできませんが、楽しそうな会社であるとともに、日本の古典的な中小企業の生業そのものです。
講演が終わった後で、聴衆の中の御歳90歳の長老がいきなり立ち上がって、「セサミンは本当にいい!」「90歳になっても週一回ゴルフを楽しめるのは、セサミンのおかげである」旨、普段は辛口の彼に似合わない感謝の言葉を述べられました。
ビールに強いキリンとウイスキーに強いサントリーが一緒になって世界を目指すという話を聞くにつけ、こんな話を思い出しました。
ただ、私が旅したモンゴルでは、「冷えたビール」を飲む人はいないようでした。
世界の味覚に挑戦するのは、かなりの工夫と努力がいるのではないかと思います。
以下は、小生が、サントリーの関係者の方から伺った話です。
もし、事実と異なることがあったとしたら、小生の聞き間違いということでお許しください。
サントリーのことはあまりよく存じ上げませんが。。。。。。
中小企業の教科書かもしれません。
この時は
①サントリーはなぜ上場しないのか
②食品産業が気をつける点
というような趣旨を織り込んでほしいというご講演をお願いいたしました。
1.サントリーは、赤玉ポートワインからスタートした。
創業者(?)が、ポルトガルのワインに目を付けたが、赤道を越えて輸送するには腐ってしまう。
薬問屋に奉公したことのある創業者は、「砂糖」が防腐剤になることに目を付け、ワインに砂糖を入れたとのことでした。。。。。ワインは甘いものという記憶のある方は、赤玉ポートワインでワインの味を覚えたことによるのではないか。。。。。。
2.サントリーは何度かビールで失敗した。
赤玉ポートワインで儲け、ウイスキーで儲けたサントリーは、周囲の反対を押し切ってビール工場を建設したが、やはり、何度も失敗している。
その理由は、「サントリーのビールはウイスキーの味がする」と評判になってしまうことも一因らしい。
3.サントリーのウイスキーも最初は失敗した。
赤玉ポートワインで儲けたお金で、ウイスキービジネスに進出するも、失敗の連続で在庫の山だったそうです。
ただ、ウイスキーがビールと違うのは、在庫で寝かしておくうちに、ウイスキーが熟してきて、実は質のいいものに変化していったそうです。
4.サントリーのウイスキーは旧日本軍で評判になり、それはアメリカ軍も知っていたらしい。
ウイスキーを作っていた山崎の工場は空襲を受けなかったとのことです。
終戦となり、進駐軍が真っ先にやってきて、このウイスキーを接収してしまったそうです。
そこで、先代は、米軍に、ウイスキー代金を集金に行ったらしいのですが、米軍の偉いのは、ちゃんと代金を払ったという逸話もあるそうです。
5.いまさら上場しなくても。。。。。。
①資金調達も上場企業以上の水準でできること
②採用も人気ナンバーワン企業であり困らない
③基本はオーナー企業である
という事情があったようです。
6.サントリーには文化事業とか介護事業のような企業メセナの文化がある。
上場してしまうと、こういった文化事業は、投資家から真っ先に批判され切り離しを求められてしまうとの懸念があるらしいのです。
7.学生の就職人気が高すぎて、実は困るそうです。
実際の採用は100人程度でも3000人くらいの応募があるそうです。
2900人の人は採用しないのですから、サントリー社の入社試験を落ちた瞬間からサントリーを嫌いになってしまう人が2900人もできてしまう(サントリー製品を飲まなくなる)心配もあるそうです。
8.市田ひろみさんがCMで宣伝したお茶は一年でマーケットから消えた。
人気がありそうでも、商品寿命を長くするのはかなり難しいらしいのです。
「京番茶」と言ったのでしょうか。
9.選び抜かれた商品でも売れないものができる。
コカ・コーラに対抗するということで、
①CMディレクターには当時売れっ子であった川崎徹、
②コピーライターは糸井重里、
③アートディレクターに横尾忠則、
④CMソングには坂本龍一
を起用してできた清涼飲料に「サスケ」というのがあったそうです。
しかし売れ行きの方はさっぱりで、早々に、マーケットから姿を消したらしいのです。
「サスケ」という名前が彷彿させるように、黒いボトルで黒い飲み物だったようですが、主なターゲットは子供だったことから、世のおかあさんたちから「こんな得体のしれないものは子供には飲ませられない!」と総スカンを食ったらしいのです。
このあたりは、サントリーが「食の安全」感覚を企業風土として身につけて行かれた実証例だそうです。
10.開高健は、トリスバー向けの「洋酒天国」というPR誌の編集社員だった。
サントリーに勤めていた奥様の退職と引き換えに入社したのが彼だったとのこと。
芥川賞の受賞とともに多忙となり、退職していくのですが、その後任に彼から紹介されたのが山口瞳だったとのことです。
「江分利満氏の優雅な生活」という話は、山口瞳がサントリーの社宅に住んでいて見聞きしたことのようです。
図らずも、演者は、そのモデルにされたらしいのです。
彼もまた直木賞を受賞するのです。
小生は、サントリーの中で実際に働いたことがないので、その厳しさは想像だにできませんが、楽しそうな会社であるとともに、日本の古典的な中小企業の生業そのものです。
講演が終わった後で、聴衆の中の御歳90歳の長老がいきなり立ち上がって、「セサミンは本当にいい!」「90歳になっても週一回ゴルフを楽しめるのは、セサミンのおかげである」旨、普段は辛口の彼に似合わない感謝の言葉を述べられました。
ビールに強いキリンとウイスキーに強いサントリーが一緒になって世界を目指すという話を聞くにつけ、こんな話を思い出しました。
ただ、私が旅したモンゴルでは、「冷えたビール」を飲む人はいないようでした。
世界の味覚に挑戦するのは、かなりの工夫と努力がいるのではないかと思います。
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