「もし安部元首相の事件がなかったら」 [どう受け止めたらいいのか]
「もし安部元首相の事件がなかったら」と考えたことはありますか?
おそらく「統一教会」問題は表沙汰になっていなかったかもしれません。
ニュースワイドショーなどでは「政治家を追い詰めるコメンテーター」が数多くいますが「あなただって知らなかったでしょ」と言ってあげたくなってしまいます。
最近のマスコミについていえば、
1.誰でもコメンテーター
2.現場を知らなさすぎる
3.「後追い」ばかり
という特徴が顕著です。
「一億総評論家」時代ですから誰がコメンテーターでも構いませんが、公共の電波で発言するには「物足りない」印象があります。
しかしSNSなどでは同調する人もいらっしゃるのでしょうから仕方ありません。
プロのコメンテーターの方の多くも「背景に誰かいる」との印象があります。
「不偏不党」といわれるマスコミ色を逃れるのに都合がいいのでしょう。
例えば田﨑史郎氏。
安部・菅両首相のスポークスマン的な役割だったため彼の解説が的を射ていたかどうかは疑わしい限りです。
今までマスコミは「統一教会」のいわゆる「霊感商法」被害についてどこまで問題視していたのでしょうか?
今回の「安部音首相の事件」を契機に大問題化していますが、あの事件がなかったらここまで問題視されたかどうかも疑わしい限りです。
「追及するマスコミ」というスタンスなら事件に関係なく報道されていたはずです。
・国政政治家と統一教会の関係
・地方政治家と統一教会の関係
などは「選挙に詳しい人なら周知の事実でした」から。
「電報がどうのこうの」というぐらいなら政治家の祝電や弔電は廃止くらいは主張されたらいかがでしょうか?
どっちみち税金から支出された形式的な電報なのですからその分税金が浮きます。
「後追い批判」大好きなマスコミの皆さん、そういう番組が楽しいですか?
今日の内閣改造も、安部元首相の事件がなかったら、
・そもそもなかった
・この人選ではなかった
かもしれません。
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