檀家を持たない「地方古刹」の生き残りのこと [裏づけのない経営学]
このお寺を訪ねた時に気になったことがありました。
①境内の整備が遅れており荒れている
②境内のテントでご住職が土産物を売っている
③宝物殿の中が雑然
④国宝があるにも関わらず輝いていない
ということ。
明らかに参拝客が少なく、資金難の様子が見て取れます。
ご住職のお話によると
①地元の温泉街の客が減っている
・それなりに有名な温泉街
・コロナ前のインバウンド需要の高い時期にもかかわらず観光客が増えない
・温泉街の客が減る=このお寺の客が減るということのサジェスチョンのようです
②ここは「国の補助金」で改装したものですとの自慢
・「宗教に国の補助金」という違和感をお感じになっていないようです
・「自助努力」「自己資金」という訴え方がありません
・「補助金」自慢をした傍から興味がなくなりました
③うちは檀家を持っていないと資金難の事情のご説明
・「檀家がない」というのは今に始まったことではない
・宗教活動に魅力があれば「寄進」という資金集めもできるはずです
少し距離を置いて見渡すと
①温泉街と古刹との「持ちつ持たれつ」関係が希薄
②街全体に「目玉」が磨かれていない
③リピートしたくなるような魅力や興奮がない
ということ。
将来に向かってのやり方はそれなりにあると思います。
しかし「温泉街」もこの「古刹」も「行政頼み」と「情報発信バカ」に陥っているようです。
そんなところに魅力があるのでしょうか?
日本の多くの著名な観光地は「行政が後からついてくる」というのが実情です。
この地域もマスコミの取材はあるようです。
しかしマスコミは「ここはダメですよ」などとは言ってくれません。
地元が作った修飾語ばかりの観光地など飽きられてしまうに決まっています。