「人望」という評価の裏側 [どう受け止めたらいいのか]
安倍元首相の事件が起きたことで日本国民の価値観や世評に少し変化が生まれたのかもしれません。
一つは「統一教会」のことです。
おそらくあの事件がなければ「水面下」に潜り続けたでしょう。
マスコミは得意になって報じていますが、あの「合同結婚式」以来おかしなことはわかっていたはず。
マスコミの調査能力というか話題の絞り込み方はその程度ということでしょう。
「国葬」の反対者が多いとボロクソに報じていたはずなのに当日は生中継した局も多かったのが実情です。
あれは結局何を伝えたかったのでしょうか?
一つは「人望」という人物評価のことです。
例えば、「政治家」「企業経営者」などを評する時には「あの人は人望がある」ということも常でした。
おそらく「煙たい」人物は「人望がない」ことも多いでしょうが、得てしてそういう人物が心理を突いていたり成功していることがままあるものです。
「反社会的勢力のリーダー」を「人望がある」というのも変なものです。
ご存じ自民党の最大派閥の「安倍派」を率いる「安倍元首相には人望があった」と評していいものでしょうか?
このように考えてみると「犯罪集団のリーダー」ですら評価されてしまうことになってしまいます。
プーチン大統領も「人望がある」と評価してもいいのでしょうか?
マスコミチックな「時の勢いに迎合的な評論」が必ずしも的を得ていないということを肝に銘じるべきでしょう。
多くの企業、多くの組織が「人望」という言葉に騙されながら低迷する結果になっていることもありそうです。
「選挙で選ばれた人」こそ究極の「人望」のなせる業だったりするのかもしれません。