「物価上昇」と「断捨離」 [どう受け止めたらいいのか]
コロナやウクライナ問題で物価が上がりつつあります。
マスコミ的に言えば「たいへんだぁ」「生活が苦しくなる」「政府は対策を」ということになるのでしょう。
こういう人たちは、今まで、
・景気をよくするには「消費」が盛り上がらないといけない
・デフレは悪
・賃上げが必要だ
的に言い続けていた人たちです。
しかし、ここには「節約」という言葉はありません。
そもそも「原材料」や「製品」の輸入の多い日本ですから、
・為替が円安に振れると物価は上がりやすい
・資源不足になると日本の物価は上がるものが多い
・利益率の低いビジネスでは賃上げには限界がある
・捨てれば廃棄物もでる
ということはわかっていたはずです。
ここへ来ての「資源不足」に加えて「円安傾向」です。
「賃上げを伴わない物価上昇」が起きても不思議ではありません
そういえば、かつて「断捨離」という言葉が話題になったことがありました。
おそらくその精神は今も生きているでしょう。
商標登録をなさっている「やましたひでこ」さんは、
断…不要なモノを断つ
捨…不要なモノを捨てる
離…物への執着から離れる
とおっしゃっていると解説されていたネット記事もありました。
・居住空間を広くすることが目的なのか?
・ものへの執着をなくすことが目的なのか?
・ほかに目的があるのか?
よくわかりませんが、私自身は「だから捨てた」「だから買わなかった」ということもありません。
もともと「ものもち」なので今でもたくさんの「もの」があります。
明らかに要らないようなものまで残しています。
私の部屋の真ん中には「いるのかいらないのかわからないもの」が段ボール箱に入ったまま置いてあります。
「快適な暮らし」をするにはこれらを処分するかどこかに持って行かないといけませんが、だから困っているということもありません。
時折、思い出したようにそれぞれの「箱の棚卸」はしています。
そこで「捨てる」「使う」「置いておく」ことの繰り返しです。
目をつぶって「えいやぁ」と捨てても後悔することもないような品々ばかりです。
あったからと言って「ときめく」ようなものもありません。
私自身は「断捨離」=「ものを捨てる」と受け止めていました。
どうやらうまく表現できませんが「ものへの執着を断つ」ということもあるようです。
この冬は衣料品をほとんど買いませんでした。
・捨てずにいたセーターなどの冬物衣料を着ることにしました
・流行を追う年齢でもなく20年~30年前のものでも十分着られます
・幸いなことに体型は変わっていません
・ゴルフ用のセーターなどは温かくて相応におしゃれです
・ダウンベストなどと組み合わせればおしゃれになります
等々の理由からです。
「消費」煽り派の方々に申し上げたいのは「人様のご商売のためになぜ私が無駄遣いをしなければいけないのか?」ということ。
所得が増える予定もない私には「支出を抑える」ことしか対処策はありません。
ややもすれば「断捨離」はストックの整理に重心がありがちですが、私の場合は「節約」や「工夫」を通じてフローの整理に重点を置いています。
履かなくなった靴は庭仕事用に使っています。
いつ捨ててもいいような代物です。
電気、ガス、水道などのいわゆる光熱費はこまめな「節約」しかありません。
「節約するために節約型の製品に買い替える」こともしません。
日々のフローの費用は抑えられてもイニシャルコストを吸収するには時間がかかりすぎです。
要は「節約」することが目的ですが必要以上にストックを買い替えていたのでは意味がありません。
「支出を減らす」ために「こまめな節約」することが必要なのです。
「外部サービス業への依存」を減らすこともその一つです。
例えば、外食、外飲み、クリーニングなどが典型例です。
「所得が多くてしかも時間に余裕がない人」がやるようなことを「所得が少ない人」が求めたら生活が苦しくなるに決まっています。
結果、サービス業界の皆さんの業績不振・倒産というのが増えるかもしれませんが、それを「淘汰」というのです。
「必要なご商売が適正な規模で生き残る」ということです。
人手不足等々のご商売も多いようです。
産業のリバランスをする格好の機会がやってきたと考えることも必要です。