「不在家主」「不在地主」についての? [無駄の効用かやっぱり無駄か]
最近時々見聞きする問題に所有者が特定できないあるいはわからない「空き家」「空き地」「空き山林」というのがあるようです。
先日もテレビでやっていました。
「荒れ屋敷」「荒地」「荒れ山林」について行政や自治会などが対応をしようにも、所有者(権利者)の死亡に伴い
●相続人(権利者)が不明
●相続人(権利者)が多数で全員の同意が貰えない
ということがあるようです。
特に「限界集落」などでは都会に移住したまま後継者が戻ってこないという事例もあるようです。
こういう話を見聞きするにつけいつも不思議に思うのは、
「固定資産税はだれが払っているのか?」
「ひょっとして固定資産税は納められていないのか?」
ということです。
●「固定資産税」の支払人から追いかけて行けば権利者がわかるのではないか?
●「固定資産税」の支払いと所有権の相続とは違うというのなら一定期間(たとえば10年間)固定資産税を支払ったものに権利が移転する制度を作ればいいのではないか?
●「管理者」「固定資産税支払人」を特定するためにも「納税管理者」を常時定めておけばいいのではないか?
●固定資産税納付者がいない場合(一定期間固定資産税の支払いがない場合)は国庫に所有権を移転すればいいのではないか?
などと思ってしまいます。
「ふるさと納税」とか「地方創生」あるいは「地域活性化」などと言い、そもそも「民がやるべきこと」に主役として注力する「行政」の姿を見聞きするにつけ、
「本来行政機関がやらなければいけないことをやったらどうだい!」
と思ってしまいます。
●人手不足
●高齢人口の高止まりの中での人口減少
●貨幣経済の浸透
という社会構造を踏まえると、こんな行政の在り方ではどうしようもなくなってしまうことが増えるような気がしてなりません。