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そして「新聞」が忘れ去られようとしている [どう受け止めたらいいのか]

先日、わが家にはある新聞の試読版が入っていました。
何やら「月ぎめ契約」の案内チラシも入っています。
人手で一軒一軒セールスして回るよりは効率的かもしれません。

「時代だな」などと感慨に浸ってしまいました。
「うちも新聞はいらないかも」
「新聞取っていない家が増えたんだろうな」
「古紙回収のための古新聞が玄関先に置いてあるお宅もずいぶん減ったな」
「新聞代金もキャッシュレスで払っていて新聞屋さんの顔も見なくなった」
などと独り言のように妻に言うと、
新聞を取っているのは年寄りがいる家だけよ
と返事が返ってきました。

習慣ということもあるし、ボケ防止にもなるし。。。。。

しかしよく考えると、
●ネットであらかたの記事は見ている
●テレビの番組表はテレビについている
●新鮮なのはマンガだけ
ということしか思い浮かびません。

かつては2紙取っていて、1紙は「通勤電車の中で読む」というパターンでした。
週刊誌や漫画雑誌を電車の中で読む人はずいぶん前に減り、新聞を紙で読んでいる人も今ではまずいません

新聞社の有料サイトに登録しなくても現状はまず困りません。
テレビでさえ「見たい番組」が減り、「これはと言う番組は録画で見る」と言う毎日です。

先日は「NHKプラス」にも登録しました。
なかなか使い勝手がいいようです。


こんな時代になってくると「新聞の役割」って何だろう?

とも思えてきます。
「社説」も「コラム」も中身の重み、厚みが失せたような感じがします。
驚きを感じるような論説も減りました。


もはや新聞を「オピニオンリーダー」的にとらえる人も減ってしまったはずです。
最近はやりの「忖度」と言う言葉も新聞の称号のようなところもあります。

このままだと「新聞」の存在意義やステータスもずいぶん落ちて行ってしまうのではないでしょうか。。。。
「新聞」と言ってもすぐにはわからないお子さんも出てきそうです。
レジ袋が有料化された今ではIKEAのようにレジのところに積んであって「商品を包む紙」に成り下がってしまうかもしれません。


今新聞に求めたいのは「もう少し攻めてほしいな」ということです。




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